1974年2月のヘルムート・ニュートンの仕事で知り合い、ニューヨーク時代ずっと行き来した親友ジェフリー・ホールダー。ジェフリーとの出会いが土井さんに予想もしていなかったセレブの世界を開き、著名人たちを写真に収めていくことを可能にした。
1975年トニー賞を受賞し、それから5年間のロングランを記録したジェフリー演出のブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ウィズ』では、土井さんは関係者扱いでいつもフリーパス、撮影も自由にできた。
今ではボサノバの神様と呼ばれるジョアン・ジルベルトとの出会いと、彼のアルバム『AMOROSO』の仕事もジェフリーがいてのことだった。
「ジェフリーは僕のアメリカの親父(おやじ)」と土井さんはいう。年齢はジェフリーとは7歳しか違わないけれど、ずっと親父みたいに感じていたし、本当に面倒見のいい懐の大きい人だった。
ジェフリーへの恩義を土井さんは写真で応えた。そして、ジェフリーの素晴らしいポートレートが数多く残った。
土井さんは、ジェフリーだけでなく、妻のカルメンや彼らの子供たちとも交流があり、ホールダー家の友人だった。ホールダー家の人々を撮った写真も多い。
「ジェフリーとは目と目をあわせれば、お互い全てがわかる。言葉なんて必要がないんだ」と土井さんはジェフリーとの関係を語る。なんとうらやましい結びつきであろうか。
土井さんが50歳をすぎてニューヨークで結婚したとき、ジェフリーは大いに喜んで結婚式に参列してくれた。日本に戻ってからもずっと連絡を取り合っていた。
2013年土井さんは2泊3日でアメリカに向かう。カルメンからジェフリーの体調がかなり悪いと聞いたからだ。いま会っておかないともう会えないかもしれないという切迫感があった。
ジェフリーはニュージャージー州にある芸能人向けの老人ホームに入っていた。歳は取ったものの、土井さんには元気そうに見えた。土井さんをみると一瞬「えっ!? 来たのか」と驚いたようすだったが、近づくなりハグしてくれ、老人ホームにいる元芸能人たち一人一人に紹介してくれた。老人ホームでも創作意欲は衰えず、新しいアート作品に取り組んでいた。土井さんは1時間30分ほど、久しぶりにジェフリーとの時間をゆっくり過ごした。そして、これが最後の交流となった。
ジェフリー・ホールダーは2014年10月5日84歳で亡くなった。CNNやニューヨークタイムスはトップニュースで彼の死を報じた。ブロードウェイの劇場は彼のために1分間消灯し、哀悼の意を示した。
土井さんはちょうど私のギャラリーで開催する写真展の準備をしているところだった。私は「ジェフリー・ホールダーはどんな人でしたか」と土井さんに聞いた。
「エレガント。実にエレガント。あんなエレガントな人はいない…」
(MJ)
映画『しあわせ』(監督:クロード・ルルーシュ)はジェフリー・ホールダーの最後の映画出演作