2003年のジョアン・ジルベルト日本初公演コンサートが発表されたとき、土井さんはプロモーターに連絡を入れ、自分はアルバム『AMOROSO』(邦題『イマージュの部屋』)の写真を撮ったカメラマンであることを告げた。日本人カメラマンがジョアンと仕事をしていることを全く知らなかったプロモーターは驚いたが、ではその時の写真を送ってほしいということになった。それらの写真は、会場で販売されたプログラムの中に5ページにわたって土井さんの回想とともに掲載されている。
2003年9月11日、コンサート当日、土井さんはジョアンと会う予定であったが、最終的にスケジュールが合わず再会することはかなわなかった。それならとジョアンに渡すつもりで持参した写真をプロモーターに渡し、「サインをもらってほしい」とお願いした。
「ジョアンはサインなんて絶対にしない…」それがプロモーターから即座に返ってきた言葉だった。「とにかく見せてくれ」と土井さんは押し切り、写真を委ねた。
「わが友、土井へ…」
と、ジョアン直筆(ポルトガル語)でそれぞれ2枚の写真に書かれている。ジョアンは土井さんのことを覚えていたのである。
プロモーターによれば、写真を見たジョアンはサインをすると言い出し、しかもその文字は金色でなければならないと譲らず、スタッフにペンを買いにいかせたという。ジョアンの豹変に周りは驚いた。
そして、コンサートの翌日、2003年9月12日の午後3時頃、根羽村の土井さん宅の電話が鳴る。土井さんが電話にでると、受話器の向こうから聞こえてきたのはジョアンの声だった…。(このエピソードに関しては別途掲載します)
(MJ)
※サイン入り写真は、コンサート終了後、土井さん宅へ郵送された