ジョアン・ジルベルトの記念すべき日本初公演が行われた2003年、その10月のこと。地元ミニコミ誌のイベントページに目をやると、どこかで見たことのある人物の写真が数枚掲載されていた。よくみるとジョアン・ジルベルト。東京で暮らしていたとき、彼の歌声は疲れた心と体を癒してくれた。いつのまにかファンになり、彼のCDをすべて集めてしまっていた。だから、初来日公演はぜひ行きたかったが、東京は遠く、また仕事もあった。
さて、ミニコミ誌の写真はどれも初めてみるものであったものの、すぐに「べサメムーショ」が収録されているアルバム『 AMOROSO 』(邦題『イマージュの部屋』)の時期のものだとわかった。いったいどうしてこんな地方のミニコミ誌に彼の写真が載っているのか?写真に添えた説明文を呼んで驚いた。この写真は日本人カメラマンの撮影によるもので、な、なんと近隣の根羽村に暮らしており、日本初公演を記念して未発表の写真をカメラマンが営むカフェのギャラリーで展示するという。家に帰り、『AMOROSO』のLPを取り出し、スタッフのキャプションを目で追った。そして、見つけた!そこには<Photography : Hirosuke Doi>とある。
私は次の日-土曜日であった-根羽村にむかった。
根羽村村営の道の駅“ネバーランド”の斜め前にそのカフェDOCOはあった。少し日本ばなれしたデザインの建物であった。入口のドアに“8歳以下のお子様のご入場はお断りしています”とある(現在はない)。「なんだか敷居が高いなぁ」と思いつつ中に入ると、そこは天井の高いとてもセンスのいい空間であった。壁や天井のいたるところに、写真、絵画、絵画皿が飾ってあった。そして、カウンター上中央の壁には『AMOROSO』のLPジャケットが収められていた。
「いらっしゃい」関西の柔らかいイントネーションで声をかけられた。声の主は年配の小柄な男性で、土井弘介さんだった。しかし、その目はどこかしら鋭く、心のうちを読み解かれているような気持ちになった。「あのう、ミニコミ誌見ました。ジョアン・ジルベルトの写真はどこですか。大ファンなんです」と伝えると、ぶっきらぼうに「また変体が来よった~遠くからよく来るんだ。ジョアン・ジルベルトの話を聞かせてってね」、ドギマギしながら「僕もその口です」というと、「いいですよ。まずは写真をみてね」ということで、ギャラリーで写真を見たあと、30分ほど話をしていただいた。話をするうち土井さんはとてもやさしい方だとわかった。土井さんのニューヨーク時代の話は私にはおとぎばなしのように聞こえた。そして、ジルベルトの話になると、「そういえば、先月の日本公演の時、ジルベルトから電話がかかってきたんだよ~」「なんでコンサートまで来たのに、私(ジルベルト)の楽屋まで会いにこないのかってね」「こっちも仕事があるからねって言ってやったんだ」 。もう、話を聞けたことはうれしんだけど、出てくる内容がすごすぎて頭が混乱した記憶がある。
それから15年、ずっとお付き合いをしていただいている。2014年と2015年には、私が経営しているギャラリーで写真展をしていただいた。2014年には私が主催している映画鑑賞会でもスペシャルゲストとしてニューヨーク時代の話をしていただいた。
2016年には写真集『i click! Manhattan』を出版された。そして2019年、新しい写真集の準備をされているという。
土井さんのニューヨーク時代の話はいつ聞いても、私にはおとぎばなしのように聞こえてしまう。でも、一般的には逸話に満ちた土井さんのことはあまり知られていない。「僕は写真家としては大成しなかった」と土井さんは謙遜する。しかし、土井さんの写真をみて、話を聞くとき、なんて素敵な時を過ごされてきたんだと思う。このブログによりそんな素敵な人生を送られてきた土井さんの魅力を少しでも伝えられたらと思っている。(MJ)
※このブログに出てくる逸話は、2003年10月以降に土井さんにお会いした際に直接お聞きしたこと、2014年10月10日の飯田市川本喜八郎美術館でのトークショー、2016年に出版された写真集『i click Manhattan!』、その他、土井さんが雑誌や書籍で語られた内容 から抽出したものです。時代背景などは 私MJが調べた部分もあります。言質に間違いがないか土井さんにも随時確認していただいています。
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